詩人の恋
- 2016年2月4日
- 読了時間: 8分
もともとブログに一貫したテーマを設けるつもりは全然なく、日常あったことや気になったことを書いていったら結果的に大澤という人間の紹介になるだろうというくらいの気持ちで書いていたのですが、特に人様より面白い日常を送っているでもなく、気になったことを書き留めようとすると本気の備忘録になる始末で、しかもあまり更新するモチベーションもなくなってしまう、これはどうしたものかと考え、私がその日に接した曲について何か日記的に書く、ということを思い立ちました。
伴奏が多いという仕事柄、日々雑多な曲に触れますが、音とり稽古に付き合うだけの曲などは、楽譜を初めて見てから楽譜とお別れするまでの時間が一瞬であることも多く、せっかく縁があったのにもったいないなぁ、もっと知りたかったなぁと思うことがよくあります。
ということで、その日に触れた曲について書く!というざっくりした目標を設けてみました。
といっても全部均等に触れていたら死んでしまうので、ほどほどに。それにたびたび同じ曲を弾くことももちろんあるので、その日の自分の理解の度合いに応じて、まぁ結局日記です。よろしくお願いします。
きょうはソプラノの稽古で
・越谷達之助〈初恋〉
・木下牧子〈竹とんぼに〉〈おんがく〉
・なかにしあかね〈愛されている〉
・リスト〈O lieb(愛の夢)〉
・ウェーバー《魔弾の射手》よりアガーテのアリア〈Leise, leise〉
で終わりのはずが、急遽発注かかって
・なかにしあかね《二番目に言いたいこと》
・シューマン《詩人の恋》
ということで歌曲集2冊を「40秒で支度しな!」状態に。40秒ではなく30分くらいはあったのですが、作業量と与えられた時間の割合からいくと焦りの度合いは「40秒で…」に近いものがありました…^^
《詩人の恋》は前から楽譜はもらって持っていたのに、しかもこんなに有名な作品をちゃんと勉強していなかった自分バカバカ!(泣)と呪っている暇もなく、
1曲目の〈美しい五月に〉はなんか知ってたぞ!高校の音楽の授業でやった気がする!
当時はふーん、美しい五月ね、新緑ね、と思っていた気がしますが、先日フォーレの〈五月〉をやったときに、ヨーロッパの五月がいかに希望と再生のカラフルな季節であるか、ということを知りました。
世界が長いこと灰色に覆われる冬が終わり、花が一斉に咲いて小鳥が啼き出す希望と再生のカラフルな季節、ということで、徐々に雪が溶けて桜が咲いて…な日本とはわけが違うらしいです。
少しずつ薄紙を剥ぐようにあたたかくなっていろいろなところに春の訪れを…ホーホケキョ…とかではなく、うわーーーーー!!!春が来た!!!なう!!!という感じだそうです。
この曲の冒頭に出てくるwunderschönenはwunder(どきどきわくわく)+shönen(美しい)で、ただ単に美しいなんてもんじゃない、胸が高鳴るような、日本語で一語でいう言葉のないような美しさを表すそうです。それと恋の芽生え、告白の胸の高鳴りが重ね合わされて、弾いていてもぞもぞします。
2曲目〈私の涙から〉は3回のフェルマータが難しい。
「私の涙からたくさんの花盛りの花が芽吹く」→フェルマータ
「そして私のため息はナイチンゲールの歌声となる」→フェルマータ
「そして君が僕を愛したなら、僕はこの花を君に全部あげよう。そして君の窓の前でナイチンゲールの歌を響かせよう」→フェルマータ
いずれも、「ほらね?」という感じ。そのフェルマータで花が見えなければいけないしナイチンゲールの声が聞こえないといけない。
3曲目〈ばら、ゆり、はと〉は私の好きなピーチクパーチク系。
かわいらしくお喋りする感じ、名詞を並べたてて「これも!これも!これも!」という感じ、そして「ばらもゆりも鳩も太陽も大好きだったけど今は好きじゃない、可愛くて素敵で清らかで唯一の君が好きだ、そしてその人こそばらでゆりで鳩で太陽だ!!」…ってなんじゃそりゃ!というような、恋する人ならではの不思議な論理も、なんかうきうきします。
4曲目〈あなたの瞳を見つめるとき〉は”Ich liebe dich”の「おへそ」感がすごい。つまりそここそ曲のキモなんだけど、高いでもなく強いでもなく、その一言に吸い込まれるようなピアノのリタルダンドがあって、言い終わったあとにまた流れ出す(でもシューマンもアテンポ書かない人なのですね)、その静かな求心力がすごいなぁと思いました。
5曲目〈私の心をゆりに浸そう〉はさらうのに一番時間がかかった…微妙に変化する分散和音の連続、で4つの32分音符を2−2で分けるか3−1で分けるか最初に決めないとおたおたする、大澤の苦手パターンでした。こういうの初見でぱっと弾けたいです。
冒頭の歌詞を直訳すると「私の心をゆりの萼に浸そう」となるのですが、音友の楽譜の(タイトル部分の)訳は「わたしの心をゆりの林にひたそう」となっていて、その心がまだいまいちよくわかりません。ゆりにどっぷり浸る感じなのはいいけど、林って。そもそもゆりのような背丈のものに「林」とつけるのは、小さくなったアリスのような視点から林立したゆりを仰ぐ感じなのかしら。それはそれでイメージとしてはかっこいいけど、訳としてはやっぱりよくわかりません…
6曲目〈神聖なラインの流れに〉は、主人公が恋人を聖母になぞらえて讃えていますが、その仕方になんか怖さを感じる。「神聖なラインの流れの波間に映るのは、巨大な大聖堂の聳える、広大な、聖なるケルン/大伽藍の中には聖像画がかかっている/それは金箔を貼った皮に描かれている…聖母マリアの周りには花々や天使が浮かんでいる/その瞳、唇、その頬は/まさに私の愛する人のものと同じだ」と、街全体を俯瞰する引きのショットからだんだんだんだん聖母の顔にクローズアップしていく感じ、金箔を貼った皮がどうとか具体的に詳しく言っちゃう感じ、特にそのあたりは変な明るさをもったG-durになってバスのGが保続しながらあやしい和音になるのと相俟って、かなり危ない印象です。すると案の定、(つづく→)
7曲目〈私は嘆くまい〉では恋人の心変わりを知ってしまって嘆いています(泣)。いや、正確には、"ich grolle nicht(私は嘆くまい)"と言っているのですが、36小節の曲の中で「嘆くまい」と6回も言われると、かえってそのショックが伝わってくるというものです。
8曲目〈花が知ったなら〉は一転して素直な嘆き節になっている。彼女がhat zerrissenn mir das Herz(「私の心をずたずたに引き裂いた」)と言ったあとの後奏では突然ピアノの音型が変わってのたうちまわっているようで苦しい。
9曲目は〈鳴るのはフルートとヴァイオリン〉と題されているが、他にトランペット、ティンパニ、笛なども鳴っている。賑やかなはずなのになんでこんなにもの悲しいかと言えば、それがかつての恋人の婚礼で鳴り響いている音楽だからであります。志の輔師匠が落語の枕で「一番見たくないもの、燃えている自宅」みたいな話をなさっていましたが、自分の好きな人の結婚式もあまり見たくはないですね。無窮動の音楽がいかにも無情です。
10曲目〈あの歌を聞くと〉はピアノの下降音型がはらはら落ちてくる涙のようで、暗いことこの上ない。"mein übergrosses Weh(私の巨大な悲しみ)"のところで急に上下の音の幅が広がってはっとするのと、ずっと下降気味だった伴奏が後奏で半音階上行して行くのがなんか執念を感じさせる。
11曲目〈若者は乙女を愛し〉は一転して明るい。若者が娘に恋をし、その娘は別の男を好きになり、その男は別の娘を好きになって結婚してしまい、やけになった娘は行きずりの男と一緒になってしまった、その(一人目の)若者のみじめなこと!これは昔話だけど今もこんなことよくあるよね!ね!!!という、妙に楽しげな語り口が皮肉で、さらに前後の文脈を考えるととっても痛々しい。
12曲目〈明るい夏の朝に〉、季節はいつの間にか夏になっている。「かなり遅く」とのテンポ表示で、花々が「私たちの妹を悪く思わないでね!」と語りかけてくるところはさらに遅く、終始、というか、始まるでもなく終わるでもなく、ぼんやりとさまよっている感じ。花々の声に託して、心変わりした娘を許しはじめているのだろうか。
13曲目〈夢で私は泣いた〉ではレチ的な歌に応えるピアノは真っ暗な影のよう。友達(ソプラノ)は、実際に夢を見ているうちに泣きすぎて目覚めることがあると言っていました。元恋人が棺に入っている夢よりも、自分を捨てた夢よりも、やはり3節目のまだ自分に優しかった夢、が一番悲しい気がします。
14曲目〈夜ごとの夢に〉でも夢ネタが続きます。でも第13曲に比べても徐々に諦念のようなものが感じられるような。夢に出てくる恋人がブロンドの頭を横に振ったり、糸杉(悲しみの象徴なんだって。お墓などに植えるらし)の束をくれたり、目覚めるとその言葉を忘れたり、しています。失恋の生々しい痛みが遠くなり、せつない気分が満ちています。てか、糸杉で束つくるの難しくない????
15曲目〈おとぎ話の中から〉は、一見ここまでと関係のないおとぎ話の中の光景を語っているようで、結局目覚めるとその夢に見た幸福の国はあぶくのように消えてしまう、という、これまでの14曲のドラマから導き出された境地たる明るい諦め、嘆きのようなものが終始流れているような感じがします。色とりどりに転変していく調が鮮やか。
16曲目〈古き悪しき歌〉は冒頭が第九みたい…とてつもなく巨大な棺の話を延々として、最後に「わかるかい、君たち、棺がなぜそんなに大きくて重いのか?」と突然問いかけられ、ぞっとします。不気味なあたたかさを持つナポリの和音で告げられるその答えは「私が愛も痛みも葬ってしまったから」。そう言い放ち、全てが終わったかと思えるときにふと聞こえてくるのが〈明るい夏の朝に〉の美しい後奏。なんてこった…切なすぎます…〈美しい五月〉にうっとりしていたときには想像もつかなかった長い道のりを経て辿り着くこの風景。この最後の「いつの間になんて遠くまで来たんだろう…」という感慨が連作歌曲の醍醐味のように感じます。
さて、書き始めて(=実際にその曲に触れた日)からここに辿り着くまでに3日くらいかかりました(笑)この記事のはじめに書いてある「きょう」はだから3日くらい前なわけです。
その間にまた他の曲にもどんどん触れているわけですが、いかに毎日多くの曲が消化不良で終わっているのかということですね…
もっと効率よく吸収できるようがんばります…
この試み続きますように…






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